大切なものは心の中に

チュジフン主演「キッチン」を中心とした作品の2次小説書庫です。

ノスタルジア〜終章1

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風が百日紅の花を揺らし、紅色と白い花びらが重なるようにひらひらと散る。

「いい加減、子供じみたわがままを言うのはよせ。」

シンの言葉が、チクチクと胸を刺した。

子供じみていることなど、よくわかっているさ。
だけど、シンに僕の何がわかると言うのだ。
1つの関係が終わり、それによって繋がっていた僕たちは離れ、もう繋がる術はない。
僕らの関係とはそんな儚いものなのだ。

「そんなこと・・・最初からわかっていた。」

意味もなく言葉に出してみる。
ぎゅっ。胸の奥が石のように固まるように締め付けられた。
わかっていたくせに、この見苦しいほどの未練はなんなのだ。

振り払い、何度連絡があっても突き放した。
僕の存在が彼女の邪魔になることが嫌だった。
だけど、サンインからも、シンからも、それを否定されて。

そりゃそうだ。
ジュレを宮と関係づけたのは他でもない僕で、それは公然の事実だ。
今更姿を消しても僕の存在は消えたりしない。
冷静に考えれば、姿を消した方が却って勘ぐられると言うものだ。
それでもまだ彼女と逢おうとしないのは、もう、僕のわがまましかなかった。

遠くで歓声が聞こえる。
ジュレとカズンの婚礼パレードを祝う歓声。
遠くで礼服に身を包んだジュレとカズンが笑顔で手を振る姿を見たら、
どうなるのだろうと思ったけれど、意外にも、急に身体の力が抜けて口元が緩んだ。
胸の真ん中にぽっかりと穴が空いたような気がした。

「・・・私だって!ドゥレが結婚した時に同じ気持ちだったんだよっ!」

別れ際、僕の背中に彼女が叫んだ最後の言葉を思い出して胸が痛んだ。

結婚式の時に、目を腫らして一度も僕の顔を見なかった5歳のジュレを思い浮かべて、
彼女もこんな気分だったのかと思う。

「きみはどうやってこれを乗り越えたんだい?」



「ドゥレ様。」
背後で声がして振り返ると、黒服の男が小さく頭を下げた。
コン内官だった。

「陛下がお呼びでございます。」
「シンが?」

「ドゥレ様のお茶を所望されております。」
「お茶?・・・なんで・・・今?」

「「儀式は全て終わったのだからもういいだろう?この頑固者。」
・・・と仰せでした。」
「・・・。」

ーちぇっ。僕のことはお見通しだったと言うのか。

僕は舌打ちすると、仕方なしにコン内官について集玉斎に向かった。

彼の後ろ姿をぼんやり見つめながら、
若きシンに仕えていた彼の叔父と雰囲気がよく似ているなと思った。
寡黙ながら優しい雰囲気が好きだった。



集玉斎。かつての僕の職場。
シンとの思い出も、ジュレとの思い出もいっぱい詰まったところだ。

今日の婚礼式典のために、すっかり人が出払ってしまった集玉斎は
シーンと静まり返っていて、余計なことをつい思い出してしまう。

集玉斎の中の一室には小さなカウンターのついた控えの間があり、
シンはよくここで僕のお茶を飲んだ。

「陛下をお呼びしますので、しばしお待ちを。」

彼はそう言うと僕を一人残して姿を消した。



ふぅ。
かつての僕の「城」だった場所。
離れて久しいと言うのに、なんだかホッとする。
僕は手を洗うと、お茶を淹れるべく湯を沸かし、
シンのお気に入りの茶器を棚から出す。

ーさて、シンに今日はどのお茶を入れようか?

茶葉の入った容器に手を掛けようとした時、かちゃりと扉が開く音がした。

「シン・・・?」

振り返って言葉を失った。
扉をあけて入ってきたのは、
さっきまでカズンと笑顔で手を振っていたジュレだったからだ。

「・・・な、なん・・・で?」

「こうでもしないと、ドゥレパ、会ってくれないでしょ?」
「・・・だけど、きみは今・・・?」

僕は驚きで口をパクパさせているのに、彼女はそれについて何も言わず、
少し困ったような笑みを浮かべた。

「座って?」
「いや・・・でも?・・・なぜ?」

「いいから。」

半ば強引にジュレは僕を席に座らせ、黙ってカウンターに入ると、
手を洗い、湯沸かしの火を止め、棚から茶館を取り、茶葉をポットに入れる。
そしてシンの茶器を仕舞って、別の茶器を取り出した。

ジュレ・・・?」

ジュレは、何も言わず黙ったまま流れるような手つきで紅茶を淹れる。
見慣れたその仕草のくせに、思わず見惚れてしまった。

彼女はふっと笑う。

「天才的な料理人の父を2人も持っているくせに、私はどうもオンマに似たみたいで。
料理はいまいちで、本当に笑っちゃう。
唯一人に自慢できるのは、ドゥレパから教わった紅茶の淹れ方だけ。
ドゥレパがいつも私においしい料理を出して喜ばしてくれるように・・・
私もドゥレパに何かしたかった。
それで・・・私が結婚するときはこうしてお茶を淹れてあげようってずっと思ってた。
直前に結婚の告白をして・・・まあ、少しは怒られるかな?と思っていたけど、
まさかこんなににげまわられるとは思わなかったわ。」

ジュレはそういうとポットから紅茶を注ぎ、僕の前にカップを置いた。

「どうぞ。」

ジュレの顔を見上げると、
彼女は何も言わずに向かいの席に座り、やわらかな微笑みを僕に返した。

カップを持って口をつけると、
独特の香りが鼻腔をくすぐった。

「あ・・・これは・・・。」
「ラプサンスーチョンっていう紅茶なの。中国の紅茶なの。
カズンが昔ね、「イギリスのチャールズ皇太子が贈ってくれた紅茶なんだ。」
と言って飲ませてくれたの。
すごく癖が強くて好き嫌いが分かれるお茶なんだけど、私は好き。
初めて飲んだ時、カズンには悪いけれど・・・
「この紅茶はまるでドゥレパだ。」って思った。」

「僕に?」

「うん。独特なスモーキーな香りは、ドゥレパの匂いによく似ていて、
口に含むと、すっと身体に沁み渡って気持ちがスッと楽になる気がするの。
・・・そして、その味と香りの余韻に涙が出そうになる。
パリで1人のとき、よくこの紅茶を飲んだわ。
まるで、ドゥレパの背中に凭れかかっているような気分になって、淋しくなかった。」

ジュレはテーブルに頬杖をつくと、その時のことを思い出すように目を閉じた。

「・・・。」

「この紅茶、東宮でもきっと飲むわ。
ドゥレパに逢いたくなったらきっと・・・。」

彼女は僕を見てふふんと笑った。

ジュレ。」

「この手を離しても・・・たとえ一生逢えなくなったとしても、
私がドゥレパを想う気持ちは変わらないの。一生。
『離れていても、心は離れたりしない。』
5歳の私にドゥレパが言ったのよ。覚えていない?今度は私がそのまま返すわ。」

「!」

僕が結婚してこの家を離れても、僕がジュレを想う気持ちは変わらないよ。
僕の心はいつでもジュレとつながっているから、今までと何も変わることはないんだ。
だから泣かないで。僕はいつでもジュレのそばにいるから。

へインとの結婚式で泣きじゃくるジュレに、確かに僕はそう言った。

「私はいつでもドゥレパの側にいるわ。何も変わらないの。」

ジュレが笑う。
窓から差し込む木洩れ日が風に揺れて笑う。
そよそよと吹き込む風が優しく僕の背中を抱いてくれた。

結婚式のあの時の5歳のジュレを想う。

「・・・そうだな。」

苦い香り。
その香りが、5歳の子に僕がした仕打ちを、今更のように責める。
でも、そのあと残る余韻が、全てを許して抱きしめてくれるジュレの心を感じた。




「嬪宮さま。・・・そろそろお時間が・・・。」

ノックとともに扉が開き、ジュレのお付きであろう尚宮が申し訳なさげに頭を下げた。

「あ・・・、わかりました。すぐ行くわ。」

ジュレは彼女に振り返り、慌てたようにそう答え、
「ドゥレパ・・・。」と、僕を見つめた。

「ん。もう行きなさい。この後も本当はたくさん儀式があるんだろう?」
「・・・実は同牢の礼の前にどうしても抜けたいと言って出てきたの。」
 
ジュレバツが悪そうに肩をすくめる。

ーその無茶苦茶なわがままを通して、なおかつシンに片棒を担がせたのか。

思わずため息が出る。

カズンにとっては1番大切な儀式だろうに。
困り果てて、首を縦に振るしかなかったカズンと、
苦虫を噛んだようなシンの顔を思い浮かべて、


申し訳なく思いながらも吹き出してしまった。

「紅茶、ありがとう。美味しかった。ジュレの気持ちも・・・。
僕は・・・僕も変わりはしないよ。
僕はいつだってきみの守護天使だから・・・いつも側にいるよ。」

「ドゥレパ・・・。」

「結婚おめでとう。今度はカズンと店にもおいで。歓迎するよ。」
「・・・うん。」



ひとり宮を後にする。
いつのまにか、陽は宮をオレンジ色に染めて姿を隠そうとしていた。