誰がために鐘は鳴る
宮殿内の庭園に設けられたレセプション会場には、春の風が舞いこんできて、 どこかに咲いているであろう花の甘い香りを運んでくる。 凍えるような冬の寒さはいつのまにか綻んで、 凍りついていた私の心を溶かしていた。 今、清々しい気持ちで、私はその春の…
幕が下り、全てが終わった。 夢のような拍手喝采を浴びて、私は充実感に包まれていた。 招待されたレセプションに顔を出すと、そこでも拍手に包まれ、胸が熱くなった。 「ヒョリン。」 「シン・・・?」 振り返ると、シンとチェギョンが、私に近づいてきた…
開演のベルが鳴る。 ドキンと胸が高鳴り、早鐘のように打つ拍動に息苦しさを覚える。 私は大きく息を吸い込むと、ゆっくりとその息を吐き出した。 ふと視線を感じて振り返ると、舞台の袖の奥からインがまっすぐに私を見つめていた。 彼は私と視線が合うと、…
韓国の文化を紹介する芸術公演は、順調にプログラムをこなしていた。 伝統芸能から、ミュージカルまで、古典から現代韓国の各芸能を代表するスペシャリストが、 舞台の上で惜しみなくその実力を披露している。 僕とチェギョンは、ウィリアム皇太子夫妻と並…
匂い立つチェギョンの香りの中に身を埋めて深く息を吸い込むと、その甘い香りに頭がクラクラした。 指、掌、唇、舌・・・彼女に触れる全ての部位は、 神経の1本1本まで貪欲に彼女を感じようと研ぎ澄まされ、 その艶やかな肌の感触に酔いしれる。 僕を感じ…
「具合が悪かったんだから、先に休んでいろよ。」 そう言ってシンは部屋を出ていった。 忙しい身で飛んできてくれたのだから、いろいろやることもあるかもしれないけれど・・・。 部屋に一人取り残されて、私はため息をついた。 「大丈夫だったか?・・・と…
「あぁ・・・、よかった。・・・インくん、すごく素敵だったなぁ。 ヒョリンをグッと抱きしめて・・・「ずっと傍にいるって約束しただろ」って・・・ ああ~もう男の中の男ね。」 「・・・最後においしいところだけ持って言った奴のことだけを誉めるのか?…
息を切らせてスタジオに駆け込んできたインに、驚いて、ただ呆然と彼を見つめていた。 「遅いぞ。」 「悪い。これでも空港からまっすぐ飛んできたんだ。」 「シンくん・・・?いったいどういうこと・・・?」 目の前二人のやりとりが理解できずに、シンの顔…
噴き出したヒョリンの激情に、誰もが言葉を失っていた。 「ヒョリン・・・いい加減にしなよ・・・。 それ以上、自分を貶めていく姿を晒さないでくれ。」 それまで沈黙を守って、後ろで傍観を決め込んでいたドゥレが、突然口を開いた。 壁に凭れたままでいる…
「僕のいないところで、僕のことを話されるのは愉快じゃないな。」 シンは、落ち着き払った声で、スタジオに入ってきた。 「・・・どうして?」 「チェ尚宮から、連絡があった。 病室で休んでいるはずの妃宮が、ヒョリンに会いに行ったとな。」 シンは少し…
「ヒョリン・・・。」 「チェギョン・・・!」 ヒョリンはスタジオに入ってきた私を見て、 明らかにうろたえたように瞳を見開いたまま、動かなくなった。 「なぜ・・・?」 「・・・久しぶりね。ケガをしたって聞いて心配したけれど、元気そうでよかった。…
扉を開けると、音楽が耳に流れ込んできた。 広いフロアを、飛ぶようにヒョリンが踊っている。 扉の開く音に彼女は振り向くと、僕の姿に気がついて、 ステップを踏みながらニコリとほほ笑んだ。 「やぁ。」 僕が声をかけると、彼女は踊るのをやめてタオルで…
「でもね、女心の全然わからない奴なのよ・・・シンは。 だからあなたに迷惑をかけてしまうけれど、察してもらえると嬉しい・・・。」 ヘミョンはそう言って帰って行った。 ―そんなこと、わかっています。 心の中でそう答えたけれど、口に出せなかったのは…
ヒョリンの暴走を止める術を、今の僕には見つけることができなかった。 急にチェギョンが心配になる。 僕は「antique」を出ると、まっすぐ宮に向かった。 シンの話では、まだチェギョンは太医院に居るはずだ。 シンにも逢おうとしない彼女が、僕と逢うのか…
「赤い靴を履いた・・・少女。」 ドゥレに言われたその一言が気になって、私は部屋に着くなりDVDをつけた。 「赤い靴」 昔のバレエ映画の名作。バレエをしている人で知らない人はいない。 画面に繰り広げられる舞台。 その中で鮮やかな赤いトゥシューズを履…
ヒョリンが店に来たのは、その翌日だった。 いつになく軽やかな足取りで店に入ってきた彼女は、 僕の姿を見るなり、明るい笑顔で小さく手を振った。 「いらっしゃい。 ・・・今日はいつになくご機嫌だね?いいことでもあった?」 「ええ。」 彼女はいつもの…
チェギョンが来なくなってからしばらくたった。 シンはその間、黙々と、しかし精力的に立ち回っていた。 あれ以来、チェギョンのことを口にしない。 以前のように弱音を吐いたりしないから、僕も逢えて口にはしなかったけれど、 何も言わないことが、逆に彼…
1人の食事は味気ない。 チェギョンは翌朝も、東宮に戻ってはこなかった。 「皇太子」という肩書をつけ、この東宮に移った頃から、 食事というものは1人で食べるものだと思っていた。 そんなものだと・・・特に何も感じてはいなかったけれど、 チェギョン…
シンと静まり返った、太医院を歩く。 シンが、公務を終わらせてやっとここに来れたのは、もう夜の10時をとうに回った頃だった。 薄暗い廊下を、足早にチェギョンの病室に向かう。 少し小さくなった白い月が、シンの後を追うように、次々と通りすぎる窓から…
足が上がる。 身体が軽い。 昨日はできなかった回転ができる。 まるで昨日とは別人のように、身体が動く。 心が軽いと言うことは、こういうことなのか。 私は一つ一つ、ステップを確かめるように踊ったー 今日も人形のような踊りを見るのかと、僕は心が重か…
それは、公務としてシンポジウムに向かう車の中で聞いた。 「チェギョンが・・・倒れた?」 コン内官からの知らせに、愕然とした。 「なぜ・・・?」 あの状況で倒れたのであれば、間違いなくあのけんかが原因なのだろう。 後部座席の画面をじっと見つめて…
まどろみの中を彷徨っていた。 過去を遡るように、次から次へと思い出がよみがえる。 楽しかったこと、苦しかったこと・・・・。 私たちはそこで、泣いて・・・怒って・・・笑って・・・抱き合っていた。 ―ああ、ここに来るまで、本当にいろんなことがあっ…
ただ泣いていた。 泣きすぎて、もう、何が悲しいのかわからないほど。 ただ、涙が止めどもなく流れて、それを止めるすべを私は知らなかった。 「チェギョン・・・。」 ドゥレさんが心配して、様子を見に来てくれたことは分かっていた。 だけど、彼が傍に来…
東宮に続く道をとぼとぼと歩いていた。 宮は一昨日降った雪のせいで、真っ白に化粧されて、まるで別の場所のように感じられた。 「雪の下には、変わらない姿で建っているのに、こうして隠されてしまっただけで、 それがどんな形だったか思い出せない。 案外…
突然投げつけられた枕を掴んだまま、僕はチェギョンを追いかけて彼女の部屋の前まで来た。 固く閉ざされた扉の向こうで、彼女のすすり泣く声が聞こえる。 その声に胸が潰れそうになった。 この扉を抉じ開けて、すぐにでも抱きしめてやりたい衝動にかられる…
答える間もなく一気にまくしたてられて、目が点になった。 ―どうやったらこんな答えが出てくるんだ? 僕の理解の範疇から大きく外れたチェギョンの問いに頭がフリーズしそうになった。 「な・・・んで、そうなるんだ?」 固まりかけた思考回路を必死に動か…
分刻みのスケジュールでこなした公務からやっと解放されて、東宮に戻る。 「?」 東宮はシンと静まり返っていて、 チェギョンの代わりに、僕の帰りを待っていたチェ尚宮が足早に近寄って挨拶をした。 「おかえりなさいませ、殿下。」 「チェ尚宮?・・・チ…
霧の中でもがくように勢いに任せて吐き出した僕の気持ちを、 モレはキョトンとした顔で受け止めた。 「ずいぶん・・・昔のことを引っ張り出してきたのね。」 「昔って・・・まだ、2年も経っていないよ。」 「ああ、そうね・・・。でも、なんだか遠い過去の…
何をする気にもなれず、一人ソファに寝転んで、ぼんやりと天井を眺めていた。 本でも読もうと思って持ってきた文庫本は、表紙も開かれないまま胸の上に置いたままだ。 ふと、部屋の入口に掛けられたモールに目をやる。 「・・・。」 サンインが、僕の態度に…
「・・・で、いったいどうしたの。 チェ尚宮とケンカしてまで、太医院に行きたくない理由は、一体何なのさ。」 僕がそう問いかけると、眉間にしわを寄せていたチェギョンの顔がみるみる緩んで、 今にも泣きそうな顔になった。 「チェ、チェギョン?」 「ド…