「姦臣」妄想〜月下の舞〜10
言葉にならない憤りと罪悪感が湧き上がり、
動転する心を制御できず、狂いそうだ。
「おまえの罪は、死んでも消えぬ。」
その言葉の意味をようやく理解した。
「・・・足りぬ。こんな命ひとつでは、足りぬ・・・。」
石のように蹲り、ガタガタと震える。
「大監・・・。」
彼女は近寄ると、諭すようにその背中に触れた。
「あんたの命をひとつ差し出したところで、
彼らの怒りや悲しみを癒すことなどできないし、
あんたが身体や心をボロボロにして、惨めな姿を晒したって、
喜ぶ奴なんか誰もいませんよ。」
「!」
「でもそれは、あんたの罪が大きすぎるからではなく、
誰もそんなことを望んでいないから。
だって、時の流れは森羅万象、生き物は生死を繰り返し、
その度に歴史も繰り返される。
あんたを稀代の奸臣と糾弾した者は、今、何をしているか知っています? 」
「 ・・・。」
先の革命の指揮をとったパク・ウォンジンらは功臣と謳われ、
ユン王の代わりに晋城大君を推載して新しい時代の扉を開けたが、
市井の様子は全く変わることはなく、
ただ、王宮内で人事交代があっただけだと、
人々のため息交じりの噂は耳にしていた。
「結局、そんなもんなのさ。
誰ががあんたの椅子に座っただけ。
世の中は全く変わりはしない。
この子も、このまま白丁として捨ておかれるだけ。
だからあんた1人で思い悩んでも、なんの足しにもならないんですよ。」
彼女はそう言って肩をすくめた。
「しかし・・・それでも私の罪は消えぬ。
ダンヒは・・・彼女はそう言ったのだ。
「1分1秒でも自分の罪を悔いて祈りながら生きろ。」と。
だから私は・・・。」
王宮内の争いは弱肉強食、やらねばやられる。
それがあの中で生き残るための道理だ。
しかし、人としての道理から自分が外れていたことは確かなのだ。
その証拠が、実体として目の前にあるのだから。
ふっ。
それは嘲笑なのか、ため息なのか。
彼女は格子越しに、冷たい夜空を見上げた。
****
彼の心に焼き付いた彼女の言葉に、笑わずにはいられなかった。
ーどこまでも目障りな女。
でも、誰よりも彼女を理解してしまう自分がいた。
「彼女は・・・「しっかり生きて。」と言いたかったんじゃないですか?
大切な命をたくさん奪ったのならば、
命をおろそかにせず、彼らの分までしっかり生を全うしろと。
それが人としての道だと。
そして、その言葉は彼女なりの赦しの言葉だったんじゃないですかね?」
そう言いながら、
大監に見えないように、私はもう一度笑うしかなかった。
本当は、ただ単純に、彼女は大監を愛していたのだ。
復讐と言う名分と彼の命を両天秤にかけても、
彼の命を自分の手で絶つことがどうしてもできなかったのだろう。
・・・だけど、それは悔しいから絶対に言わない。
結局は、彼女も最後の線で、女を捨てきれなかったのだ。
男も女も身分や家に囚われると面倒くさい。
どうせ男か女しかこの世にはいなくて、やることはひとつなんだから、
もっと簡単に生きればいいのにと思う。
自分を見上げる大監。
ーしかし、それを言ったところで、どうにもならないことなのだ。
それらを振り払らうことができていたら、
彼らはこうしてはいないのだから。
・・・ならば。
****
「ねぇ、大監。この世で一番強い者が何か知っていますか?
奸臣よりも王よりも両班よりも強いもの。」
「?」
ソルジュンメの突然の問いに、その意図が見えずに首をかしげた。
すると、彼女は得意げに鼻を鳴らした。
「それは私たち、民さ。」
「!」
「おえらいさんたちがね、
どんなにひどい命令をして私たちの糧を搾取しようと、
藁を咥え土を喰らってでも、私たちはどん欲に生きることを選ぶね。
夢や希望がなくたって、生きることが人間のあるべき姿だと知っているから。
何かあるごとに面倒くさい名分を並べてさ、
殺すとか死ぬとかやっているあんたたちより、
よっぽど強いと思わないかい?」
けけけ。
ソルジュンメはそう言って笑った。
「お前は・・・民は恨みはないのか?」
あまりにあっけらかんと笑うので、その心を疑う。
すると彼女はぴしゃりと私の言葉を遮った。
「ないわけないじゃありませんか。
あんたたちが作ったこの乱世で、涙を流さなかった奴がいるとでも?」
彼女の瞳に潜む翳りに、言葉に出せないほどの闇を見る。
「それなら・・・。」
「それでも、恨みでメシは食えないからね。」
「!」
「恨みに囚われてるヒマはないのさ。生きなくちゃならないからね。」
彼女はまたにっこりと笑った。
キラキラと、強い光を放つその瞳に引き込まれる。
それの光は彼女の命の強さそのものだと思った。
そう、最初に彼女に会った時からそれを感じていた。
それが眩しくもあり、だからこそ疎ましくもあった。
だから見ないふりをした。
そして再び目を伏せる。
今の自分には眩しすぎるのだ。
ふっ。
ソルジュンメは、また笑う。
「・・・大監が、人として償いたい言うのなら。
大監はやるべきことがたくさんありますよ。」
「私のやるべきこと・・・・?」
「そう。その生を全うすること。
それが、あんたのせいで命を落としていった者への礼儀よ。
少なくとも、この「民の世界」ではね。
そのものたちの分まで命を大切にして、死に物狂いで生きる。
そして、生きてる者への償いをするなら、
悲しみを見せるよりも、幸せを見せるべきだわ。」
「幸せ?どうやって?
こんな世界で、幸せなどどうやってみせると言うのだ?」
生きることが本懐だとしても、
弱いものは常に強いものに踏まれる、殺伐とした世界で、
幸せなど、遥か空の上で光る月のようなものではないか。
しかし、彼女は「それが何なの?」と、おかしそうに笑う。
「彩虹社の女たちは、あんたが強引に連れてきたけど、
修練の中で、よく笑っていただろう?」
親や恋人、夫から引き剥がすように連れてきた彼女たちは、
泣き叫び、恨みの言葉を吐いたが、
運平となり、厳しい修練の中でも、よく笑い、よく喋った。
「女を道具か家畜程度にしか思っていなかったあんたは知らないだろうけど、
女はね、どんな逆境でも幸せを見つけられるのよ。
それが取るに足らない小さなことでもね。
民も一緒。だからあんたたちより強いのさ。
ちゃんと見れば、野に咲く花のように、幸せはどこにでもあるんだよ。
だから笑っていられるんだ。
そうでなきゃ、この世に民も、女もいやしないよ。」
ケラケラを彼女は笑う。
道具のように扱われ、おもちゃのように弄ばれても、
上を目指して何度も立ち上がってきた彼女を思い出す。
自分と似た野心に満ちた瞳を持ちながら、自分と決定的に違う達観さがあり、
「復讐」しかなかったダンヒとは違う、がむしゃらさがあった。
ー生きるため。
彼女の歩いてきた荊の道を思う。
その中で無邪気に笑うことのできる強さに魅かれる。
「私にも・・・探すことができるのだろうか?」
「探せるかじゃなくて、探すんだよ。
生きるんだろ?誰でもない、1人のイム・スンジェとして。
あんたがちゃんと目を開いて見れば、すぐ見つけられるさ。」
彼女はそう言って手を差し伸べた。
—この瞳について行けば、見つけられるかもしれない。
まじまじと彼女の瞳を見る。
すると彼女は、「ああ、初めて私を見てくれた。」と笑った。